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◆ 陶芸参考館.

Nikon Z6, ZEISS Milvus 1.4/35

陶芸家の朝ドラの影響もあり 陶芸が話題になっている?とういうわけではありませんが、 益子に 行ってきました。

飛び石連休で 陶器市もやっていたので人出は多かったですが、 陶芸参考館は 場所が分かりにくいためか 入場料がかかるためか ほぼ人がいませんでした。 

Nikon Z6, ZEISS Milvus 1.4/35

濱田庄司のような伝統的な作品から 新しい斬新なモノまでありました。 少し物足りない感じはしましたが、 詳しい人なら十分なのかもしれません。 ちなみに 企画展では写真撮影可でした。

Nikon Z6, ZEISS Milvus 1.4/35

◆ 不安定.

RICOH GR

RICOH GR

台風もきましたが、 このところ 気候が不安定ですね。 天気予報は 曇り・雨の予報でも、 逆に天気が良いことが多いです。

暑いですが、 晴れると 気分がいいです。

 

◆ 場違いなフォトデッサン.

Leica M Monochrom, NOKTON 50mm f1.1 ZM

Leica M Monochrom, NOKTON 50mm f1.1 VM

美術館にいきました。

その中に 前衛的なフォトデッサンという手法の作品がありました。 フォトとついているくらいなので 写真と関係があるのか興味がありましたが、 そこについている説明では良くわかりませんでした。

ちょうどその日 フォトデッサンのワークショップがあり 時間もちょうど見終わる頃でした。 受付で聞いてみると 受講可能とのことで 受けることにしました。

行ってみると、 ほとんど小さいお子さんで 工作を楽しみながら 美術を身近に感じるようなコンセプトのようでした。 場違いな感じで すぐ帰ろうかと思ったのですが、 せっかくなので説明だけでも聞く事にしました。

フォトデッサンとは、 感光材がついた紙の上に いろんなモノを置きます。 それを 屋外で紫外線を10秒くらい(曇りの場合)当て、 プリンターのようなもので熱を加え 定着させます。 影は黒く、 光りは白く写ります。

ラップやセロファンに マジックなどで絵を書いたりすると オリジナリティーがでるようです。

しかし、 この感光材付きの紙も 生産修了となっているそうです。 実際の作品は、 大きいサイズのフィルムを使い 現像したようにみえました。

20分くらいで説明が終わり、 作品作成に入ったところで そっと帰りました。

◆ お好みは?

GRD4

GRD4

定番の東京都写真美術館も行きました。

岩合光昭さんのネコライオンは かわいく・面白かったです。

Olympus E-5で撮影されたようで、 特注色(ダークグリーン)のE-5もいっしょに展示してありました。 やはり画質はフォーサーズで十分ですね。 これでE-5の後継機がでていれば 良い宣伝になったのに残念でしょう。 僕も あるマクロ撮影では、今だにE-3を使っています。

GRD4

GRD4

この暑い中で 屋外での飲食はつらいですよね。

しかし、このあと

お好み焼き食べに行きました。 なかなか関東では おいしい広島焼きはありませんので。

GRD4

GRD4

鉄板が大きいため 逆に外より 中の方が暑かったです。 でも、 おいしい > 暑くてつらい だったので まあ行ってよかったです。 食べ終えて 外に出ると 涼しーかった。

◆ それは突然に.

iPhone 4S

iPhone 4S

昨日は、体調もだいぶよくなってきていたので 東京都写真美術館に寄ってきました。

3フロアに別れており、『写真のエステ』『日本写真の1968』『世界報道写真展2013』を見ました。(おしていたので じっくり見られませんでしたが)

どれも すばらしいものでした。そして、報道写真は感情を揺さぶられますね。

実はこれまで写真をみてすごく感動したことはありません。

報道写真展の中に 東日本大震災のあと学校が再開され、再会した友達と抱き合い 泣いて喜んでいる女子高生?の写真がありました。隅の方にあまり大きくなく展示されていましたが ついウルッとしてしまいました。

他にも 外国の相当インパクトの強い写真がたくさんありましたが、なぜその写真に反応したのか。ひとの感情は その人が経験し・感じたことに起因しているのでしょう。どんなに すばらしい又は悲惨なものでも ある程度経験にオーバラップがないと感情は動かないのではないでしょうか。

『日本写真の1968』には、原爆後の hiroshimaヒロシマ写真展 の写真や資料の展示がありました。なんとその写真展が行われた会場は、ぼくが通っていた幼稚園だったようです。(なぜ幼稚園で?)会期は1970-71だったと思いますので まだぼくは存在していませんでしたが。

思いもかけない所で 知った名前に出会い びっくりしたと同時に懐かしさを感じました。